不思議の国の倒錯した辞書−『ジーニアス和英辞典』:山岡洋一

これは実に手厳しい。しかし、利用者の視点から見ればまったく正当な批判だ。

英和辞典は、使い手がどう要求しようと、英英辞典を下敷きに「英語の正しい使い方を示した辞書」として編集される。どうせ英英辞典を訳して作るのであれば、語義をそのまま訳してくれれば助かるのに、そうはせず、語義をすべて削って、訳語を並べる。英和辞典の編集者は英語の専門家であって、日本語にはそれほど興味をもっていないので、訳語として掲げられている日本語にかなり怪しい語が混じっても気にしない。
 和英辞典は通常、英和辞典の裏返しとして作られる。英和辞典の訳語を見出し語にすると、和英辞典になる。つまり、英和辞典から単語カードを大量に作って、あいうえお順に並べ替えれば和英辞典になる。
 『ジーニアス和英辞典』はさすがに、コンピューター時代の産物だけあって、単語カードではなく、コンピューターを使った。その点はたしかに新趣向だが、それだけのことだ。

 英和辞典にしろ、和英辞典にしろ、英英辞典とはまったく違ったものでなければならないはずである。英英辞典なら、英語というひとつの言語の世界のなかで編集していける。これに対して英和辞典と和英辞典の場合には、日本語と英語という2つの言語がからんでくる。この場合、日本語という色眼鏡でみたときに英語がどう見えるのか、英語という色眼鏡でみたときに日本語がどう見えるのか、という視点が不可欠になるはずである。こういう観点に立つとき、たとえば和英辞典なら、「……した」と「……してしまった」の違い、「……だ」と「……なのだ」の違いをどう訳しわけるかが重要になる。英和辞典なら、英語のincludeと日本語の「含む」のように、一見意味が似ていると思える語の組み合わせで、意味範囲の微妙な違いを明らかにしていくことが重要になる。英和でも和英でも、英語と日本語で品詞の使い方が微妙に違う点(たとえば、英語の副詞を日本語では副詞や連用形では表現できない場合が少なくない点)に気配りしてほしい。
 『ジーニアス和英辞典』は、こういう辞書にはなっていない。生の英語と生の日本語から離れたところに、倒錯した辞書の世界を築き上げた結果にすぎない。辞書という不思議の国では目新しいかもしれないが、英語の辞典に対して普通の人がもつごく当たり前の要求を満たしているとは思えない。