正義はセーギかJUSTICEか

WUR カフェテリア・カビノチェ より

●WUR カフェテリア・カビノチェ
●名前 鉄球
●登録日時 06/05(土)22:17

re(7):沈黙の螺旋 第7回 ...

序章 正義とは

第1節 正義はセーギかJUSTICEか

月光仮面のおじさんは 正義の味方だ 善い人だ」
軽薄さが、ある種の価値として評価される現在の軽チャー(文化状況)において、正義という重いシリアスな概念をまともに語ろうとするものは、場をしらけさせる恐怖心をうけいるか、「セーギの味方」と自らを茶かすしか方法はないのだろうか。

井上達夫さんは『共生の作法−会話としての正義−』の冒頭で正義を被差別用語であると述べている。私たちが生きる上で非常に重要な観念でありながら、いわれなき偏見のためにうとまれ、反感をもたれ、茶化されている「正義」の人権ならぬ語権を救済するためこの本を書いたそうだ。

この書物では、正義理念を相対主義をはじめとする懐疑・批判から擁護する一方、正義がわれわれの道徳世界に対して排他的管轄権をもたないこと、正義はすべての道徳的問題を解決する万能・絶対の審判者ではなく、他の価値と競合・共存する限界をもった一つの価値であることも同時に強調している。したがって、これは正義批判の書でもある。正義批判は、エゴイズムの分析をとおしておこなわれる。...
1. 正義のような抽象的な概念を分析する方法として、エゴイズムという対立的な概念を用いること。方法論としては理解できたが、分析の詳細は難しすぎた。
2. ロールズという学者が正義についてすごい本を書いたこと。これも内容を理解するのは難しかった。しかし、第3節で要点をまとめる。
3. 「批判なき擁護は盲目であり、敬意なき批判は不毛である」という言葉。正義擁護と正義批判の結合は矛盾であるどころか、ある意味で必然とさえ言える。正義はすべて(everything)ではないが、欠くことのできない何か(something)である。
... 参考・引用文献 井上達夫『共生の作法−会話としての正義−』創文社、1986、3800円