最後に残るものは文体である。

id:Gen:20040523#p2 の「残されたるは文体の試論のみであろうか」が面白かったので「上記の川端康成※に関連して、哲学者内山節が講義で語った文章論を。」を解体・再構成してみました。
川端康成『新文章読本』の「契約芸術」については、id:Gen:20040523#p1 を参照


最も重要なのは、自分の視点でそのテーマを論じ切れているかどうかである。視点のみならず、その人でしか書けない仕方(文体)で書いているかも重要である。その上で、文章に力があるかどうか。つまり、作者がそのテーマに本気かどうか、意気込みが感じられるかどうかを見る。これは文章のうまい下手とは関係ないが、自分の言いたいことがはっきり読者に伝わる文章でなければならない。

  • 論文:論文作成時には「約束」にもとづいて書くこと。約束とは、哲学的(あるいは常識的)に定義された概念である。ある単語(概念)を、独自の意味でを用いる場合はきその内容を定義すること。
  • 散文:散文(エッセイ、小説、詩など)では文体を重んじること。特にエッセイでは、自分の表現したい世界を書くのにふさわしい文体を試みなければならない。思想の表現形式として最後に残るのは文体の試みである。これは「その文体を用いなければ表現できない、という場所での試み」である。

文章のリズム:「その人の歩行速度と文章のリズムは一致する」。リズムの人為的な調整で、読者に与える印象を調整せよ。リズムそのものに中身を語らせる試みをせよ。