2つの「言語」が出会うとき

from if→itself「14:12 2004/06/02【新しい言葉】」

以前、「学問とは1つの言語体系である」ってことをこの日記に書きましたけど、2つの分野にまたがって研究をしている人はいわば「日本語と英語の切り替え」をもの凄い頻度でやらなければいけないわけで、そのとき費やされる労力は測り知れません。(中略)
しかも、いつまでも翻訳を繰り返しているだけでは、それは2つの分野を融合したとは言えません。学際的な学問を切り開くというのは、いわば日本語と英語の特徴を兼ね揃えた「新しい言語を作る」のと同じくらいの技術を要求されるわけで。 (中略)
社会はきっと更にもっとたくさんの分野が混沌としながら渦巻いてます。法律語、経済語、経営語云々、これからも「語学」から解放されることはないのでしょう。異分野を結びつけるのには両分野に精通しなきゃいけないんだ、という、誰でも知ってる教訓を納得するまでに大学院に払った金額は100万円。高い授業料でした……。

電車男
http://d.hatena.ne.jp/eyck/20040528#p1
http://d.hatena.ne.jp/eyck/20040529#p1

この二人と2ちゃんねるで交わされたlog群を、時間軸に沿った、予定調和的な物語りに回収してはいけません。それは物語でもファンタジーでも、純然たるドキュメントでもない、単にlogです。あえて文学領域に近似のものをもとめるならば、それは「詩」だろうと思います。二人と2ちゃんねるのやりとりは、稲垣足穂が言うように「時間に対して垂直に屹立している」詩なのであり、このlogに記されている、二人が出会った瞬間、2ちゃんねるが一気に創造性を獲得した瞬間、電車男が殻を壊し恋愛言語を獲得した瞬間、エルメスさんが恋愛言語を失った瞬間、その無数の瞬間の繋がりが、詩という形式に接近しているのです。