ジャック・デリダとの対話

from id:temjinus:20040823#1093188578 via 複数

以下は2004年8月18日のル・モンドに掲載されたジャック・デリダとの対話。聞き手はジョン・ビルボウム(Jean Birnbaum)。

ジャック・デリダ:『私自身と戦争中の私』
74歳にしてジャック・デリダは国際的な評価を得た哲学者であり、瞠目すべき緊張のうち、病気との闘いの中で、その思索の道を歩み続けている。パリ郊外、リス・オランジスの自宅でデリダは『ル・モンド』に向かいその著作、その道程、その軌跡を喚起する。

デリダは一世代も二世代も前の人らしく、そのフランス語は明確かつ美文というべきもの。
さて。

例えば私の興味を引き続けるブルデューラカンドゥルーズフーコー

デリダピエール・ブルデュー
from 哲学クロニクル 第243号 (2002年1月25日) ブルデュー追悼

社会学者のピエール・ブルデューが亡くなりました。享年七一歳。十分に仕事をしてきたという印象と、え、まだそんな年なのか、これからじゃないかという印象が入り交じっています。ぼくが一番評価しているのは『実践感覚』ですが、ともかく追悼。(中山元

「シャック・デリダの反応」(ル・モンド、2002年1月24日)

わたしたちは1949年にルイ・ル・グラン校でカーニュ(エコール・ノルマル準備クラス)で出会いました。それから一緒にエコール・ノルマルに入学しました。当時は彼は社会学は専攻ではなく、哲学についてよく話しましたね。ライプニッツハイデガーなど。ふたりともアルジェリアにゆき、そこでわたしは兵役をつとめ、彼は社会学を始めました。

1960年代末に、「社会学社会学」を作り出すために、哲学を含む仕事を始めながら、社会学を作り直すというプロジェクトを進めようとしていた頃から、ブルデューとの付き合いが復活しました。彼は世界的にみて、現代の社会学における偉大で独創的な人物です。

知的な分野、そして自分自身をふくめて、社会的な活動のすべての分野を考察しようという野心をもっていました。この「ハイパークリティック」の構築が彼の営みの中心にあり、その重要な成果でした。これを彼は「客観化する」という言葉を軸に考えていました。これはすべての自発的な実践のうちにひそんでいるものを分析し、客観的なものとすることです。

from 哲学クロニクル 第244号 (2002年1月28日)ブルデュー追悼(2)

ブルデューは最後まで現役だった。
(ロニー・バラウマン・インタビュー、レベラシオン、2001-01-24)

【問】ピエール・ブルデューについてはどのようなイメージをおもちですか。
【答】わたしにとってはピエール・ブルデューというのは、サルトル的な人物でしたね。あらゆる分野で介入の権利を行使して登場する人物です。一九五〇年代末の知識人の典型で、すべての闘いの場に登場したがるのです。しかしブルデューはその行動主義、変化への希望、そして根深い文化的な悲観主義が、不思議な矛盾を示していました。ブルデューは生涯にわたって、社会的な構造は不変であるという考え方、社会は主人と奴隷に分かれているという考え方をもっていました。

最後の1文。そうなのかな。。。