文体コンシャス と 物語コンシャス

from YOMIURI BOOKSTAND「文芸2004<8月>固有の作話システムとは」(2004/8/26)
http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/news/20040826_02.htm

刊行開始から14年、『レイモンド・カーヴァー全集』(中央公論新社、全8巻)を先月完結させた村上春樹氏(55)が、インタビュー「『レイモンド・カーヴァー全集』を翻訳して」(文学界)で、自作について語っている。
〈僕自身、書き始めたときは、すごく文体コンシャスだったと思います。『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』は完全に文体コンシャスなものです〉
〈でも『羊をめぐる冒険』あたりから、僕の書く小説はだんだん長くなって、物語コンシャスな色彩が強くなっていって(略)〉
コンシャス=意識的。より文体に意識的か、それとも物語に多く意を用いるか。もちろん作家はどちらについても意識的だし、両者は不即不離、截然(せつぜん)と分離できるものでもない。が、小説を書くとき、作家の重心は「文体コンシャス」「物語コンシャス」のいずれかに傾くように思う。

そういえば、いわゆるテキストサイトでも同じかも。どちらかと言えば「文体コンシャス」が多いかも。いや、多いのは「“ネタ”コンシャス」かな……。