『法と経済学 企業関連法のミクロ経済学的考察』宍戸善一/常木淳 著(有斐閣)

『法と経済学 企業関連法のミクロ経済学的考察』宍戸善一/常木淳 著、A5判上製、186ページ、2004/04 本体2400円 ISBN:4641162042

目次
 序論 法学と経済学:対立から協働へ
第1部 契 約
 1 ゲーム理論の「法と経済」への応用
 2 コースの定理とその意義
 3 不確実性・保険の「法と経済」
第2部 組 織
 4 契約と組織の「法と経済」
 5 不完備契約理論と「法と経済」
 6 繰り返しゲームの「法と経済」への応用
第3部 市 場
 7 市場と競争の「法と経済」
 8 資本市場の「法と経済」
 9 企業金融の「法と経済」
 10 環境問題の「法と経済」
第4部 効率と公平
 11 「法と経済」における公平性の位置付け

『書斎の窓』の2004年10月号(目次は下記参照)を見ていたら、宍戸善一氏が(今頃になって (^^;)本書の成り立ちについて書いていた。[ ]は引用者補足。

法律学と経済学は、同じ社会的事象を研究対象としていながら、それぞれのディシプリンが大きく異なります。ですから、同じテーマについて語っているはずなのに、議論が、ときとして、男女の会話のようにすれ違うということが起こります。(…)できることなら、両陣営間のギャップの橋渡し的役割を果たしたいと考えました。

「男女の会話のようにすれ違う」... はは。それは個人的な話なんでは... それは、ともかく、

この共同[執筆]作業の中で、まず、私たちは、お互いに、相手が用いている言葉の意味を正確に理解することの重要性に気づきました。たとえば、「効率的」と言ったときに、経済学者は例外なく「パレート効率的」*1の意味で用いています。すなわち、「他の誰かの状況をも悪化させることなしには、誰の状況をも改善することのできない資源配分」(本書三頁)の状態を指しているのですが、それを理解している法律家は少ないのではないでしょうか。逆に、「立法論」と「解釈論」を区別して議論している経済学者も少ないように思われます*2。ですから、本書では、概念の定義には気を遣っています。

だそうです。関連する話で、本書で興味深かったところを引用します。第11章の159〜161頁より。

法律家の議論に、「経済学はパレート効率性を規範的基準とし、そのため、効用の個人間比較を回避するという限界があるが、『正義』性の観点から、この点に踏み込んだ判断を行うところに法学の長所と存在意義がある」、という指摘がしばしば見られます*3
本節で論じてきたように、「法と経済学」が実際に採用している効率性の基準は、パレートのそれではなく、カルドア=ヒックスのそれですが、この場合でも、[個人間の]効用比較が回避されている、という批判は正しいものです。(…)
それでは、経済学者は、法律家が批判するように、効用の個人間比較を排除し、富の分配の公平性を無視しているのでしょうか。そのような批判は、あまりにも早計である、と言うべきでしょう。序論でも指摘したように、経済学者は、基本的に、分配の公平性が個別的な法的介入によらなくとも、包括的な税体系と社会保障システムの存在によって担保されている(仮に、現在の社会に富の分配の不公平があるとすれば、法的介入を拡充するよりも、社会保障を、より充実させることで、もっと有効な対処が可能である)と考えているのです。(…)
最適課税理論をもとにして具体的な税体系や税率を求め、公平な富の再分配を行うには、効用の個人間比較が可能であることが前提となりますから、「経済学は効用の個人間比較を回避している」という法律家による経済学者への批判は、立法論の次元では明らかに的外れです。序論でも指摘したように、法学と経済学では、効用比較の方法や取り扱う問題状況が異なる、と理解すべきでしょう。

経済学者と法律家という二者だけなら上記の記述でもいいが、政治学者や法哲学者だと、また異なる批判をするのでは。稲葉振一郎 氏の『経済学という教養』(東洋経済新報社)になにか書いてあったような気がする(本が見つからないので調べてません)。

538号(2004.10 月号)目次
■司法改革6 司法と地方自治佐藤幸治 
◆《鼎談》法科大学院とデジタルコンテンツ=青山善充・浦川道太郎・松浦好治 
■社会保障の視点からみたカリフォルニアの生活3 高齢者の生活 その1=菊池馨実
◆「平和構築」に対する日本の姿勢と理解度
 ──『紛争と復興支援』を刊行して=稲田十一
◆法と経済学の対話あるいは法と経済のすれ違い
 ──『法と経済学』を刊行して=宍戸善一地場産業の知恵2 コア技術のアウトソーシング加護野忠男
■ヨーロッパの変化の意味5〔完〕EU拡大は未来を開くのか=宮島 喬
◆『メディア文化論』の刊行に際して=吉見俊哉
◆サックスの社会科学へのハイブリッドな関心
 ──『実践エスノメソドロジー入門』刊行に寄せて=山崎敬一

*1:パレート最適 Pareto optimum:他の個人の満足を減ずることなしには、いかなる人の満足も増すことができない状態をいう。いいかえれば、どのような資源配分の変更を行っても、現状以上に社会的により好ましい状態を達成できないことをいう。個々人の価値判断を社会全体として一つの価値判断に形成するのはきわめて困難であるが、パレート最適は比較的柔軟性のある規準であって、人々の同意を得やすい概念といえよう。これは、V・パレートによって創唱されたものであり、新厚生経済学の発展とともに普及し、パレートの名を冠する名称が定着した。パレート最適は完全競争市場において達成され、そこでは各個人は最大の満足を得、企業は利潤最大化が達成されるなど、重要な法則が成立する。しかし、パレート最適は資源配分のみに関与し、所得分配についてはなんら触れることがない。また、パレート最適の状態は無数に存在し、それらの間の優劣は決定できないなどの限界がある。(小学館 日本大百科全書 より)

*2:立法論・解釈論:実定法の範囲内で妥当な解釈を主張するのを解釈論といい、実定法の枠を超えて正しい法のあり方を求めるのが立法論である。これに対応するラテン語 de lege ferenda(立法論)は「つくらるるべき法において」、de lege lata(解釈論)は「つくられた法において」を意味する。「もうこれ以上は、解釈論の問題ではなく、立法論の問題である」というように用いられる。[長尾龍一] ▼実定法 positive law:一定の時代、一定の社会において行われている法。「行われている」とは、その法規範の内容がだいたいにおいて実現していることを意味し、法学上では「実効性をもつ」という。実定法は、それが行われていると否とにかかわらず、あらゆる時代の人々を拘束するものとされる神法や自然法と対立する。実定法は成文法と不文法とに分けられるが、実効性、可変性、人為性などがその特色となっている。実定法だけを法とするのが法実証主義である。[長尾龍一] (小学館 日本大百科全書 より)

*3:代表的なものとして、平井宜雄『法政策学 第2版』91-93頁(有斐閣、1995)を参照。