ジュンク堂 トークセッション 2005年2月

http://www.junkudo.co.jp/syohyo8-talk.htm

2月10日(木)
「自己決定権と人体実験」
仲正昌樹(金沢大学教授)×打出喜義(金沢大学専任講師)

仲正 調べてみると、医療現場での薬の臨床試験を規制する法律は、ない。いわば一種の「人体実験」に対する国の関与がない、というのは意外だった。
打出 教授を頂点とするピラミッド型組織である医局と製薬会社との関係の中で行われる臨床検査は、その判定結果を含めて、問題があると思う。
仲正 臨床検査の対象である、という事実を、多くの場合患者は知らされない。「インフォームド・コンセント」は、成立していない。そもそも情報を与えられなければ選択肢があることすら想像できず、患者の『自己決定権』はありえない。
打出 「インフォームド・コンセント」とは、医者と患者双方が、多方面からの情報を入手し、それぞれが悩みながら患者の「自己決定」にこぎつけるべきものだ。「自己決定」したのだから「自己責任」でしょ、という考え方も、まずい。

……………………

2月12日(土)
現代日本文学はどこが面白いのか」
斎藤環精神科医)×仲俣暁生(文芸評論家)

 昨今文芸評論に新しい風が吹き始めた。その旗手ともいえる、精神科医の立場からの斎藤さん、メディアミックスの立場からの仲俣さんのお二人に来て頂いた。「本来の批評家のレベルが低下している」という現状をまずお二人は嘆く。
 精神科医の斎藤さんは「精神症状は等価である」という立場から評論したいと自らのスタンスを確認する。現代最も突出した作家・舞城王太郎を例に取る。「かれの文体は爽快なばかりに既成の文体をひっくり返している。精神科医からすると彼はある種の人格障害ですね」「すると、阿部和重はどうでしょう」「彼は小説にしか表現できない狂気が見事です」
 話は漫画、オタクへと進む。「オタクの本質は性文化、でもそのヴァーチャルなセクシャリティがすぐにリアルに結びつかない、そこのところはきちんと押さえたい」と斎藤さん。現代の少年犯罪の根本に彼らの「オタク化」があるという世論に警鐘を鳴らした。「でも僕はオタクは一種の文化エリートだと思っていますが」と仲俣さん。
 最後に斎藤さんが小説の読み方の男女差について言及した。「女性は表現された関係性に、男性は小説の世界設定に興味の中心があるようです」


↓編集者の人が可哀想だ。。|http://www.junkudo.co.jp/syohyo200405/syohyo12-talk.htm

2004年9月23日(木)
「編集者の学校最終回〜作家の品定め」福田和也(文芸評論家)

 『アフターダーク』で村上春樹は変わろうとしたけれど『海辺のカフカ』に比べると薄い、『介護入門』は芥川賞の平均点、絲山秋子の『海の仙人』はありとあらゆるものをつめこんだ新人らしい作品で興奮する……。
 「いくらでも書けるけど話すのは苦手」と最初に宣言しながらも、福田さんはすらすらと「作家の値うち」を判定する。もちろん守備範囲は文芸だけでなく、音楽でも政治でも、質問されれば即座に応答を返す。
 「よかったと思える仕事はほとんど編集者からもらった」と聞き、福田さんの幅広い教養をうまく引きだしてきた編集者たちの存在を思った。原稿が遅い、お金にうるさい、トラブルが多いという自称三重苦や、二人の編集者を円形脱毛症にした実績にもめげずに、福田さんの隠れた値うちを発見できる編集者が今後も現れることを切に祈りたい。