第10回 中原中也賞発表

ユリイカ 2005年4月号(特集:ブログ作法)がAmazonから届く。


ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記

ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記



特集はまあまあ(病院でのひまつぶしにはよい)。でも、はてなって「ブログ」じゃなくて「ウェブ日記」なんじゃなかったっけ(呼び名はどうでもいいか…)。「ブログ・ガイド100」はいい出来だと思うけど、すでにアンテナに登録済みのものばかり。いつもながら、なんでも回してしまう内田樹さんの「名人芸」には感服した。
結局、今月号のユリイカで一番面白かったのは、第10回 中原中也賞発表だった。
受賞作は、三角みづ紀の『オウバアキル』(第42回現代詩手帖賞受賞とダブル受賞)。⇒中原中也賞, オウバアキル社
受賞作もいいが、荒川洋治の選評が相変わらずスゴイ。悪口も一級品だ。以下、引用する。

『オウバアキル』という善       荒川洋治


 最終候補詩集の七冊のなかでは、三角みづ紀『オウバアキル』であると思った。
 この一冊を第一等に推す人は、意外なことに、ぼく一人しかいないことが、選考中にわかり、
こまったことになったという感じがした。それは選考を終えたいまも変わらない。この気分は
かなり複雑なものである。
 ほとんどそれに決まりかけていた、対抗となる一冊、あるいは二冊と、この『オウバアキル』
をはかりにかけるために、ぼくは選考中に再三の暴言を吐き、つまり相当強烈な言い方をして
『オウバアキル』への加点を求めたので、他の選考委員の方たちは、うるさい人だ、詩がわか
らない人だと思われたかもしれない。もちろん話はそれほど無理なものではなく、他の方たち
も『オウバアキル』を評価していることに変わりはなかったが、選考はもつれた。これまでに
ないことになった。
 斎藤恵子『樹間』は、生活詩の機械的なあつまり。ときには書いた詩がほめられたりするの
だろう。それが気持ちを安楽にさせているのか、作品にはりがない。小粒の玉石混淆にとどま
った。
 池田瑞輝『もっともっと高い木』は、こぶりながら生活の点景に多少のおもしろみはあるが、
何人かの尊敬する先行詩人への愛と、作者の詩に区別がなく、いまは無意識の領域にあると思
われた。特定の詩人にもたれると、その人の詩は終わりにちかづく。
 森川雅美『くるぶしのふかい湖』は時制の混乱を逍遙する。認識と描写、ときにきめがあら
い。惜しいことに着想どまりとなった。
 田原『そうして岸が誕生した』は、中国と日本の詩の親交において活躍をみせる作者の内部
表現。日本語学習の途上にあるため、ことばがごつごつし、そこが魅力でもあるが、何が書か
れているのかわからないところも多い。ことばのまちがいや正確ではない用法が新鮮に見える
ときもあるが、それは事故によるもので、詩の力ではない。この段階では評価不能である。
 小笠原鳥類『素晴らしい海岸生物の観察』は、自己破壊の契機すら見えない、穏やかな自閉
的世界。ところどころで付け足すように披露する「人間観」があるが、それは自分の趣味の生
活を、防衛するための言辞。この詩集には、他者の存在がない。詩と趣味が合致したしあわせ
な人である。
 小島数子『標的の未知に狙われて』は、磨かれた詩の言葉が発色。ここまでの技能をもつ人
は、そろそろ抽象的な思念からぬけでて具体的な物象とたたかうべきである。それができない
まま韜晦(トウカイ)するばかりだとしたら、詩の言語は、かえって「悪を為す」ものとなる。
その点に作者は気づかなくてはならない。
 三角みづ紀『オウバアキル』は「悪を為す」詩集が多いなか、「善を為す」種子をもつ美意
識からくる抑制もあり、気色のよさに光が見える。



ISBN:4783719578