ゲシュタルトの祈り

http://www.ieji.org/archive/das-gestalt.html
via id:kwkt:20050714


ゲシュタルトの祈り

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

ICH BIN ich und DU BIST du -

私は私。あなたはあなた。

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

wenn nicht, dann ist auch das gut so.

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。

Frederick Perls

フレデリック・パールズ

※掲載者コメント

最初の掲載時には、最後の wenn nicht, dann ist auch das gut so を、補筆・冗長として削除してありました。
(中略)
ところが最近になって、ゲシュタルト療法に詳しい方からメールを頂きました。それによれば、最後の一文こそがもっともパールズらしい言葉であり、これこそ削り落とすことのできない重要な部分だというご指摘でありました。

メールより引用させて頂きます:

私たちはよりよい状態である事を願い、そうなろうとする事(ポジティヴだとか前向きだとか)を良い事だと考えるように訓練されています。しかしパールズによればこれは「自虐」であり「ポジティヴ教の信者」なのです。

出会える事に価値があり、出会えない事は価値がない、というフィルターを通して見る時、最後の一言は冗談や補筆に見えるかも知れません。けれど、パールズにしてみればこの一言こそを、結びの言葉としたのです。

(略)

出会えない事、それもまたよし、という言葉には、すべてをあるがままに受け止めるゲシュタルトの精神が集約されています。「出会えない事に出会っている」とも言い換える事が出来ます。


バージョンもあった。(追記はてなキーワードにもなっていた…)<194> 浅き夢見し:http://www.smgrh.gr.jp/cgi-local/tree_bbs/tree_bbs.cgi?no=194

ゲシュタルトの祈り>  フレデリック・S・パールズ(Frederick S.Pearls)
私は私のことをする。お前はお前のことをする。
私は何も、お前の気に入るためにこの世に生きているわけじゃない。
そして、お前も、私の気に入るためにこの世にいるわけじゃない。
お前はお前、私は私。
もし我々が、お互いに出会うなら、そりゃあ、すばらしいことだ。
もし、出会わなかったなら、そりゃあ、しかたのないことさ。


ゲシュタルト療法の原則>
1. 今に生きること、過去や未来ではなく、現在に関心を持つ。
2. ここ! に生きること、今、目の前に存在しているものだけを問題とし、
 目の前に存在しないものは取り扱わない。
3. 想像することをやめて、現実を体験する。
4. 不必要なことは考えないこと。むしろ、直接味わったり、見たりする。
5. 他人を操作したり裁いたりせず、また言い訳したり自己を正当化したりせず、
 自分の気持ちを率直に表現する。
6. 楽しいことと同様、不愉快なことや苦痛に対しても身をゆだね、それを経験する。
7. 「……すべき」 「……であるべき」という自分以外の人から発せられる命令を受け入れない。
 偶像礼拝をしない。
8. 自分の行動、感情、思考については自分が全責任を負う。
9. あるがままの自分を良しとし、それに徹する。