『心は実験できるか』スレイター(紀伊國屋書店)

心は実験できるか―20世紀心理学実験物語

心は実験できるか―20世紀心理学実験物語

from 淑徳大学・金沢創の書評ブログ: 『心は実験できるか』スレイター(紀伊國屋書店)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/kanazawa/archives/2005/11/post_3.html

 もしあなたが心理学を学んだ経験があるならば、本書は必読の書だろう。といっても、心理学の勉強に役立つからではない。心理学の教科書に出ている様々な人物の生の声、あるいは背景が描かれているからだ。
 この本は、かつて心理学を学んだことのある著者が、1人の科学ライターとして、著名な心理学者の周辺を取材した記録によって構成されている。ミルグラムの権威への服従、フェスティンガーの認知的不協和、ハーローのサル、目撃者証言のロフタス、などなど。これらの実験は、もしそれがまともな心理学の教科書であれば、必ずのっている有名なものばかりである。
(中略)
 しかし、私にとって本書のなかで最もおもしろかったのは、このミルグラムの章ではなく、スキナーの章であった。例えば私には、著者が取材の末ようやくたどりついたスキナーの娘、ジュリー・バーガスが言った次のようなセリフが突き刺ささる。

「あなたは実際に父の「自由と尊厳を越えて」をお読みになりましたか?それともやっぱり、二次資料だけ調べるタイプの方ですか?」

 スキナーほど誤解され評判が悪い心理学者もいないのではないか。(中略)「行動主義」はどこか人を支配しコントロールする全体主義思想のように受け取られている。
 そうなった理由として考えられるのは、一つにはスキナーを信奉する人々が、どこか独善的で全体主義的な雰囲気をもっていたからかもしれない。彼らは原理主義者であり他の方法論を認めようとしなかった。これが悪かったのだろう。もう一つは、認知系の人々の(特にアメリカの)の大本営発表というかプロパンガンダがあるだろう。認知心理学者が語る心理学の歴史が全く偏っていることを私が知ったのは、行動主義の方法に従って実験をはじめてからであった。