環節社会

機械的連帯(環節社会)と有機的連帯(組織的社会):デュルケム(Emile Durkheim)

●「複雑系社会学」の可能性 ―― 相互行為論と社会システム論から ――(嶋根 克己)
http://www.senshu-u.ac.jp/~off1009/PDF/smr512.pdf

社会システム論の展開

社会学の第一世代」と呼ばれている二人の巨頭、H.スペンサーとA.コントは、進化論的な視点から社会の一般法則を導き出そうとしたことに加えて、生物のアナロジーを借りて社会を複雑な構造をもった社会有機体としてとらえようとしたことに共通点をもっている。「社会学の第二世代」に属するE.デュルケームはこうした発想をある時期まで受け継いでいた。社会の進歩を分業という観点からとらえようとしたデュルケームは、社会の構造変化を「環節社会」から「有機的社会」への移行として説明した。これはどこを輪切りにしても似たような構造を持っている単純な生物と、分化した器官を備えて統合的に機能させている高度な生物との対比で社会の進化を表そうとしたものである。
(中略)

 社会有機体説に起源を持つ社会理論を、サイバネティクスホメオスタシスなどの生物学や生理学の概念を導入しながら、現代風に洗練して社会システム論として復活させたのはアメリカの社会学者T.パーソンズである。彼はシステムにおける基本的要素を、外部環境との「適応」(Adaptation) 、「目的達成」(Goal-attainment) 、「統合」(Integration) 「形相維持」(pattern-maintenance およびLatency)とし、それぞれの頭文字を取り「AGIL 図式」としたことはよく知られている。これらについて詳しく説明する紙幅はないが、一世を風靡した彼の社会システム論も彼の死と同時に、その理論的勢いを失ってしまう。

 生物は構造化された器官が寄せ集まっただけでなく、そこに一回的な「生命」という創発的な現象が現れない限り生命体とみなすことはできない。同様に、社会をひとつの「生命体」として考えるとき、単に諸個人の集合ではなく、なんらかの創発的な特性が現れない限り、それを社会や集団と呼ぶことはできない。しかしながら社会有機体説やシステム論の論者たちはこの問題に十分気付いてきたものの、社会における創発特性を説得的に説明する理論を提出できていないように見受けられる。

 相互行為論とシステム論の狭間に「信頼」を置くという理論的戦略はルーマンのそれと近いのかもしれない(Luhman:[1973]1990)が、本稿ではルーマンとの比較に立ち入ることはできない。ここでは社会的秩序の生成について論じた浜日出夫の議論を紹介しておくにとどめよう。ガーフィンケルパーソンズ批判を整理しながら、彼は次のように述べている。「ガーフィンケルは、このように自己と他者のあいだの世界の同一性を想定することを『信頼』と呼んだ。ガーフィンケルによれば、社会秩序はその根底において『信頼』によって支えられているのであった。……共通価値もまた信頼によって支えられているということは、社会には基礎というものがないということ、社会はじつは底が抜けているということを意味している。というのも、信頼には、結局、客観的な保証はないからである。そしてこの底の抜けた社会において、われわれは暗闇の中で跳躍をつづけるほかはない」(浜:1997; pp.102-103、傍点下線引用者)システム論の系譜からも、相互行為論の系譜からも、社会を根底的に支えている「信頼」という現象がなぜ創発的に生じるのかについての決定的な説明はなされていないように思われる。