高原基彰「創造性で稼げない若者の苦悩」『中央公論』2006年4月号 

■■週刊ビジスタニュース■■  2006.04.05配信分 http://www.sbcr.jp/bisista/mail/art.asp?newsid=2879
以下、かんばさんの編集後記より。

(編集後記)[最近は読んだ雑誌の感想になっております]
中央公論』2006年4月号 高原基彰「創造性で稼げない若者の苦悩」

格差論が世間を賑わし、国会でも論議される中、より大きな枠組みでこのテーマを捉えた一文だと思います。格差拡大への不安から、個人の能力によってポジションを移動できる可能性が閉ざされ、社会が分断される危険性について論及した内容には目から鱗でした。雇用の流動化が進む一方で、それがいわゆる「下層」へのしわ寄せになってしまわぬように警鐘を鳴らす著者は1976年生まれの若き論客。近日、著書も刊行されるとのことで、今から楽しみです。

高原基彰blog
村上泰亮など 2006年3月 8日 (水) http://takahara.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_099f.html

追記)インタラクティヴ読書ノート別館の別館 id:shinichiroinaba:20060413#p1

確かに随所に「ナショナリズムはのっぺりと国民全部に拡散するのではなく、人種や階級といった、国内における立場の違いを、色濃く反映するのがふつうなのではないだろうか。」(20頁)(中略)といった卓見が見られ、文化研究者としてのセンスを感じさせるのだが、いかんせんその背景をなすところの第1章の労働市場論というか、高度成長・経済発展についての記述につっこみどころが満載。これではたとえ第2章以下のカルスタの部分がよくできてても、本の価値が半減だ。
 例えば
「石油危機を契機に、次のような事情が明らかとなった。大量生産品から多品種少量生産への移り変わりは、移り気な消費者の嗜好に合わせ、製品をすばやく転換することが求められることを意味していた。そのために生産ラインも、かつてのように一定のものをずっと作り続けるのではなく、流行に合わせて変動させねばならない。このために、企業にとっては、一つの技術に特化した熟練労働は必要がなくなり、それを育成する人的投資の必然性は、低まっていった。」(29頁)
 「話が単純すぎる」とかいってもしょうがない。議論には単純化も必要だ。しかしここでの単純化はつぼを外しすぎ。