若島正『乱視読者の英米文学講義』(研究社)

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わたしには人間がわからない。人間のなかでもとりわけ女性がよくわからない。
たぶん子供のころから将棋盤の上の世界に取り憑かれていたせいなのだろう。盤上で駒たちが形作る複雑な磁場や、抽象的な数学が、自分にとってはいちばんしっくりくる世界なのだった。ところが、人間たちが織りなす心理模様となると、突然わからなくなる。人間によって構成された社会の力学には、まったくと言っていいほど関心がない。文学をやりはじめたのは、そうした歪みをいささかなりとも矯正したいという自己治療の意味合いが大きかったのかもしれない。それでも、やはり人間というものがよくわからない。他人というものに興味がなくて、自分自身のことばかり考えているのは、一種の病いなのだろうかと思う。(p196)
わたしはこれまでの人生の半分以上を、小説を読むことに費やしてきました。たぶん、これから先も、死ぬまでずっと小説の熱心な読者でありつづけるはずです。しかしその結果もたらされるのは何なのか? はっきりと告白しておきますが、わたしは一冊の小説の世界以上に、わたしが生きている現実の世界をおもしろいと思ったことはありません。(p221)
そしてやはり、最後に感謝を捧げなければならないのは、大学生のころ一年間に何百と読んだ短編小説たちに対してである。彼らは、わたしの生活のあらゆる時間において、わたしとつきあってくれた。喫茶店でコーヒーを飲んでいるときや、寝ころんでいるとき、バスの吊革にぶらさがっているときだけでなく、風呂場や便所の中でもわたしの唯一の友人でありつづけた。たぶんその関係は今後も変わることがないだろう。どうもありがとう。(p225あとがきの最後)