三島由紀夫賞

from 東京猫の散歩と昼寝 id:tokyocat:20040519

きょうび注目するなら芥川賞よりこっちだろ、とは『文学賞メッタ斬り』も書いていたようだが、その三島由紀夫賞に、矢作俊彦の『ららら科學の子』(ASIN:4163222006)が選ばれた。感想を記したのはずいぶん前だ(芥川賞と違って年1回だからか)。このときは好かった部分を強調したつもりだが、内心首をかしげた点もあった。この際そこを指摘しておこう。(中略)
さて、これまた『文学賞メッタ斬り』も言及していたとおり曲者ぞろいの三島賞の選者たちは、『ららら科學の子』のどのあたりに溺れたのか、いや溺れるのも小説の好い読み方だと思うけれど、ああ早く知りたい。

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浅田 彰
 (前もって言うべきことはない)

阿部和重 
 デビュー作には、自身の総てを投入すべきだろう。なぜならそのような作品にこそ、より高い将来性が宿るはずだからだ。むろん本当に総てを書き尽くす必要はない。それほどのものだと読める作品に仕上げればいいのだ。

小川洋子
 目新しいものを書こう、などと思う必要はないかもしれない。人間は長い年月、同じことを繰り返し書いてきた。自分もその繰り返しの波に飛び込んでゆこう、という覚悟の方が、ずっと難しく意義深いのだと思う。

福田和也
 新しいとは、どういう事態なのか。文藝にとって、今日ほどこの問いが、深刻なスリルを帯びた時はない。新しい人たちよ、この愉楽に満ちた使命をまっとうして欲しい。新しさそのものを否定する形においてさえも。

町田 康
 書きやがれクソ野郎。読みやがれ、馬鹿野郎。真面目に書いた作品は真面目に読む。ふざけて書いた作品も真面目に読む。みすぼらしい手製の爆弾で世界を爆砕。間違えて自分も爆砕。それが文学だ。

矢作俊彦が『ららら科學の子』で三島由紀夫賞を受賞した。68年のデビュー以来の「無冠の帝王」の実力をついに文壇も認めざるをえなかったということであろう。
私と同じく、年来の「矢作ファン」である高橋源一郎さんから「ヨロコビのメール」が届いた。高橋さんは「あの人こそ、ほんとに『無冠の帝王』だったわけで、それだけでも、この国の賞のいい加減さがわかるものですが、ようやく、自らの失態に気づき、矢作さんに謝罪したということでしょうか」と溜飲を下げていた。高橋さんは先週末に受賞祝いに葉山で矢作さんと痛飲し、「最後は男二人で『少年探偵団』(映画版)の主題歌を筆頭に、60年代のアニメソングを歌い」まくったそうである。
矢作俊彦高橋源一郎が葉山の海岸で「少年探偵団」を合唱しているところを想像すると、なんだか「矢作俊彦の小説のまんまやん」と思うけれど、まことに涙を誘う佳話である。

「ノスタルジック68」であり、「ノスタルジック68」を戯画化した小説でもある。世界革命的な「68」ではなく、四方田犬彦的な、或いは村上春樹的な「68」であるため、読者の疎外感を揺さぶらずにはいられまい。その生き生きとした描写から、当時を知る者はもちろんのこと、当時を知らない者でも懐かしさを覚える。ああ、懐かしい。この懐かしさだけを感じることが出たなら、明日から元気に働くことが出来るというものだなぁ。