辞書も文法書もない言語を調査する。

from 月刊『言語』のメールマガジン「げんごろう」第17号(2004.7.15)

■□[04]リレー・エッセイ「私が言語学者になったワケ」その8■□■□■□
 私が大学にはいるまで通っていた教会にHさんという青年がいました。はじめて会ったとき、Hさんは英語の堪能な大学生でした。やがて彼は神学校に進み、ウィクリフという団体に属する宣教師になりました。高校生のときに、私はHさんから個人的に話を聞き、ウィクリフの宣教師が辞書も文法書もない言語の話されている場所へ行って、その言語を調査し、その言語に聖書を翻訳すると知りました。また、彼がテキサス大学の Summer Institute of Linguisticsで受けた音声学と言語学のトレーニングの話にも感銘をうけました。私はHさんにあこがれて、高校3年になる春休みに大学で言語学を勉強する決心をしました。(ちなみに、その頃にはじめて月刊『言語』を買いました。ソシュールの特集号でした。)これが言語学との出会いです。
 フィールドワーカーにあこがれた私は、大学ではどんな言語でも分析できるような技術を身に付けたいと考えました。受験雑誌で一般言語学というコースがあるのを見て筑波大学に進んだのですが、その後、私の関心は徐々に変わっていきました。聖書を翻訳するには、聖書の原文を理解する必要があります。一般言語学コース担当の津村俊夫先生がたまたま聖書ヘブライ語の専門家だったので、私は1年次から聖書ヘブライ語を学びました。聖書ヘブライ語をよりよく理解するために同系のウガリト語、アラム語アッカド語も学びました。
さらにはイスラエルに留学し、現代ヘブライ語も身に付けました。夢中になれる言語との出会いが私の進む道を変えたのだと言えるでしょう。
 学位論文では辞書も文法書もないアッカド語方言(紀元前13世紀)の記述をおこないました。結果的に(遠い場所ではなく)遠い昔の言語を研究する道に進みましたが、未知の言語を記述するという初心は今も忘れていません。

★★池田 潤(いけだ じゅん)…筑波大学大学院人文社会科学研究科助教
1961年前橋市に生まれる。筑波大学第一学群人文学類卒業。同大学院文芸・言語研究科文学修士。テルアビブ大学大学院文化科学研究科Ph.D.。著書に『ヘブライ語のすすめ』(ミルトス)、共訳書にP.クレーギー『ウガリトと旧約聖書』(教文館)、P.ジョンソン『ユダヤ人の歴史』(徳間書店)などがある。

> ウィクリフの宣教師が辞書も文法書もない言語の話されている場所へ行って、
> その言語を調査し、その言語に聖書を翻訳すると知りました。
キリスト教、おそるべし。