構造主義からポストモダンへ

from id:sujaku:20040820#p6

バルト関連の余談:おそらくは、じぶんの世代的感受性の故だとおもうけれど、じぶんにとって構造主義ポストモダニズムの流れは、古典主義(=構造主義)からの発展と逸脱のように見える、そう、古典主義的な方にアクセントを置いてとらえる。

以下、Ririkaさんのコメントに答えたコメント。

構造主義が若かった時代、まずレヴィ=ストロースに拠る諸文化の相対化(=普遍の追求)という主題が提示されました(かれはユダヤ教徒です)。そしてその諸文化相対化の主題を、ロラン・バルトがひきとり、<真に共和制社会にふさわしい文化を賞揚しよう>と変奏し、つづいて『神話作用』として、いわば都市の人類学(あるいは記号論)というふうに発展させてゆきました。そしてそれらのいとなみが、<敗戦の哀しみの克服とともにあったサルトルの思考の、先へ>と、思考を発展させていった。しかも、フーコーは、歴史学構造主義を導入し(!)、理性の定義すら、相対化させてゆきました。
1949年 レヴィ=ストロース『親族の基本構造』
1953年 ロラン・バルト『零度のエクリチュール
1957年 ロラン・バルト『神話作用』
1961年 ミッシェル・フーコー『狂気の歴史』
1962年 レヴィ=ストロース『野生の思考』
ここまでを、ぼくは仮に、構造主義の古典主義時代、と呼んでみたわけです。

ふむふむ。

これに対して、その後、そういった思考が分岐・発展してゆくなかで、「死ね、精神分析! この官僚社会のなかで生き延びるためには、なんでもかんせも接合してしまえ!」とシュプレヒコールをあげるドゥルーズガタリが登場し、(Ririka さんちで紹介されている『ドリーマーズ』が描いた時代ですね)、はたまた(愛する人となって、テキスト論の語り部となった)後期バルトが現れる。あげくの果てに、ジャン・ボードリヤールだの、ヴィリリオだのが乱入し、はたまたアメリカがフランスからそれらを一気に輸入して、啓蒙活動を開始する。思考は次第にゲーム制をおびてゆきます。ぼくは忘れないでしょう、ジャン・ボードリヤールの『湾岸戦争は起こらなかった』を、それは、あたかもひとつの大きなうねりが最後に行き着いた墓碑銘のように見えるから。
繰り返します、ぼくは、構造主義がまだ若かった時代(=古典主義時代!)に息づいていた、諸文化の相対化(=普遍の追求)という主題、そして<真に共和制社会にふさわしい文化を賞揚しよう>という主題を、20世紀文化史的に、興味深くおもっています。そしてひそかに、それらの(テキストのたわむれなどと無縁で、明快な)方法は、そしてそこでなされた思考は、いまなお生きている、とおもっているのです。

「古典主義」という言葉に惑わされてしまうが…。呼び名は「初期構造主義」でもいいのかな。。でも、sujakuさんらしい解釈で興味深かったです。はい。
「発展と逸脱」だと2つに分岐となりますが、なんとなく「構造主義」「超構造主義」「脱構造主義」という分類もありかと(詳細を聞かれても困りますが)。ポストモダンて「超」「脱」が入り乱れているからわかりにくい気がしたりしてますが、もうすこしまとまったら追記するかもしれません。