生き残る経済学理論とは

from 科学シンポジウム サピエンス:第8回「カオス学=最前線」1995年11月18日 | プレゼンテーション(2):カオス思考と経済社会の未来 発表者:山口薫 http://www.hitachi-hitec.com/about/library/sapiens/008/pre2.html
via 電網山賊 id:pavlusha:20040929#p3

しかしよくよく考えてみると、従来の経済学は、もともとニュートン古典力学に代表される線形的なフレームワークにのっとっていたことに気づきます。特に価格調整メカニズムの理論は、そもそも古典物理学の分析手法を経済学に持ち込んでつくられたものです。ケインズは「一般大衆は経済学者の奴隷になっている」と警告しましたが、なんのことはない経済学者は物理学者の奴隷であったわけです。*1

経済学理論の数学的精緻化に貢献したのはサミュエルソンなんですが、そのサミュエルソンについて伊東光晴はこう言ってます。出典:岩波書店「図書」2004年10月号 30ページ

私が経済学をやり出した時、アメリカではモデル分析が全盛でした。みんなモデルを作り、分析する。それなのに、一つとして残ったものはないのです。同じように、おそらく、いま流行している理論の、かなりの部分は残らないだろうと思います。
サムエルソンが皮肉を込めて、ガルブレイスについて語った言葉があります。「我々ノーベル賞経済学者の著作が図書館の隅において埃にまみれて読む人がいなくなった、そういう時でもガルブレイスの本は読まれるだろう」。長い目で見た場合に残るものは、いったい何なのでしょう。流行の理論ではなく、もっと別物が残るのだろうという気がしましてね。

山口薫氏は、続けて

では、私たちはカオス的性質をもった経済現象に対して、今後どのように対処していけばいいのでしょうか。ひとつ言えるのは、失業や不況といった経済におけるネガティブな現象は、神の見えざる手によっても、政府の財政・金融政策によっても、決してコントロールできないということです。
(…)そこで私が言いたいのは、失業や不況が決してなくならない現象であるのならば、そうした現象から自由であるような市場経済を越えた新しい経済システムをいまこそつくり出すべきではないかということです。まずは発想を変えていく必要があるでしょう。そこにこそ、私が主張するような情報化時代に対応した新しい経済学のパラダイムの可能性があると思うのです。

と述べています。前段の部分は数十年前から言われていて珍しくないんですが、ではどんな方向に進むのかについては、「市場経済を越えた新しい経済システムをつくる」とのこと。大いにつくってもらいたい。

*1:正しくは、「経済学者や政治思想家の考えは、正しいものであれ間違ったものであれ、一般に考えられているよりも遙かに強力である。実際のところ、それらが世界を支配しているのである。知識の影響を受けていないとこと自認しているような現実的な人々も、過去の経済学者の奴隷であることが普通である。権力を握った狂人たちも、天の声を聞いていると自分では考えているが、何年も前のアカデミックな三文文士から彼らの狂気を蒸留しているのである。」だそうです。id:svnseeds:20040930#p1 を参照。最近、『経済物理学の発見』(光文社新書ASIN:4334032672 というのがはやってるみたいですけどね。新刊で買う気にはならないデス。どちらかといえば、『世界が変わる現代物理学』(ちくま新書ASIN:4480061932 のほうが面白そう。