村上春樹とロマン主義

はてなダイアリー - Offrande du néant 下澤和義さん
http://d.hatena.ne.jp/shimozawa/20050421012128
⇒『海辺のカフカ』も「歌としての小説」(倉橋由美子)なのかも。>> id:editech:20050415#p1

2005_04_20 ノヴァーリス村上春樹
私の参加している(といってもこのごろはすっかり「幽霊」化してしまっているが)大学の人文科学研究所から、ブックレットが送られてきた。ニフティ時代からの知人であるドイツ文学研究者のISさんが訳したドイツ・ロマン主義研究の論文集である。三人の書き手はいずれも、昨年九月に開催されたシンポジウムのためにミュンスター大学から来日したドイツ人の教授だが、そのなかの一人、エルンスト・リバット氏が、『青い花』と『海辺のカフカ』の比較研究を試みており、その二冊の取り合わせがなんとも興味深いものに思われた。とりわけドイツ語圏の読者が、村上春樹の小説をどう受け止めているかということに、少なからぬ関心を惹かれたのだ。
ところで、リバット氏の読解は、ドイツ文学の重要なメルクマールである「ロマン主義」の文学が、『海辺のカフカ』に少なからず引用されてちりばめられていること、つまりドイツ文学と日本現代文学の接点が存在していることを称揚しつつ、その接点を彼自身の発言の枠組みを成す国際企画としての日独シンポジウムに、一種の学術的な儀礼として(?)、重ね合わせだぶらせているように思われる。(……)
すでに、『海辺のカフカ』にたいするもうひとつのエディター・シップの可能性を示す眼差しとしては、安原顕氏による書評がネットにUPされている*1。おそらく日本の「外」からこのような批評が発信されるまでには、まだもう少し時間がかかるかもしれない。だが、はっきり書いておかねばならないが、『海辺のカフカ』は娯楽ファンタジーとしては『ロード・オブ・ザ・リング』より商品としての魅力に乏しく、現代文学としては永遠に『城』に近づくことなど望むべくもない。それが「村上春樹」という商標のもとに生産されるテクストについて言いうることのすべてではないだろうか。