文章末と旋律末

よくわからないタイトルになってしまいましたが、ピュイグ・ロジェさんの言っていること、ほんとなのかなぁ。

『科学的な外国語学習法』佐伯智義 著、講談社 pp.46-47 ※以下の引用では、表記を一部修正しています。

科学的な外国語学習法―日本人のための最も効率のよい学び方

科学的な外国語学習法―日本人のための最も効率のよい学び方

 そこで、最後に、言語と音楽における日本人に共通の特徴を1つ指摘することにしよう。
 日本語では「文がまもなく終わりますよ」ということを示すために、文の終わりが近づくと、読みのスピードを下げ、声量を弱くすることがある。このような話し方は、いつもではないが、テレビのニュースなどで意識的にやっているアナウンサーがいるので、注意して聞いていただければ、どのような話し方かお分かりいただけると思う。
 ヨーロッパの言語では、論理の展開によって文の終わりが分かる話し方をする。それは、学校での作文や話し方の教育によって誰もが知っている話し方なのである。したがって、文の最後の部分でテンポを落としたり、ボリュームを下げることで文の終末を告げることをしない。
 日本人の中には、日本語式の読み方で、ヨーロッパの言語の文章を読む人がいる。文の最後が目に入ると読みの速度を落とし、声も小さくなる。これは、読み方に対する日本語の干渉である。どこの国の人であれ、母国語によってしばられている、と思う。(中略)
「日本人ピアニストは、曲の終わりが近づくと、表示がないのにディミヌエンド(音を次第に弱くする)とリタルダンド(速度を次第に遅くする)にする」と、フランスの著名なオルガニスト、ピアニスト、作曲家のピュイグ・ロジェは言っている。これは、上記のように、日本人が外国語の文章を読む時とまったく同じ特徴である。(中略)ピュイグ・ロジェは、次のようにも言っている:「日本人は dim. の記号があると音を次第に弱くするだけでなく、rit. の記号がないのに速度を次第に遅くする」。(中略)これは、西洋音楽に対する日本語の干渉の一例である。