言語の生得性

『認知発達と生得性 ──心はどこから来るのか』エルマン[ほか]共著、乾敏郎・今井むつみ・山下博志 訳、共立出版、1998 ISBN:4320029011(現在、入手困難)
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以下、同書、第1章「認知発達の新たなアプローチ」より(17ページ)。>> 続き

生得的であるとはどういうことなのか

 これがいま、われわれが投げかける問題である。また、後に最終章でもこの問題について考える。「生得性」ということばは科学史上で非常に波乱に富む歴史をもつ。比較行動学をはじめとしたいくつかの分野では、このことばは過去20年にわたり、ほとんど使われることはなくなっている。その原因は、比較行動学の研究のほとんどにおいて、当初は(ローレンツらによって)生得的だと考えられていた行動のほとんどが、実際には動物の出生前あるいは出生後の環境との相互作用であるということがわかったからである。同じような理由から、このことばは遺伝学でも使われなくなっている。遺伝子は分子のレベルを含むすべてのレベルで環境と相互に作用しあうことが明らかになった。このため、少なくとも遺伝子に内包される情報の直接の産物という意味での、厳密に「遺伝的」という考え方にはおもしろみがなくなってしまったのである。

 それにもかかわらず、多くの認知科学者や発達学者は、生得性ということばを使い続け、「言語本能」などというようなことを言ってのける研究者もいる。これは、行動がどのように発生するのかを理解したいという欲求の現れであると理解できよう。ある結果が不可避的に表出する場合、それを「生得的」であると言いたくなるのは無理からぬことである。ではそう言って悪い理由が何かあるのだろうか。