今日のインサイト。

こういうのを読むと「活字」だけの情報というものの限界を感じますね。当たり前の感想ですが…。

●<鈴木貴博のビジネスを考える目> 第104回:落合監督の“非情の交代劇”に見る、トップの不思議な思考の世界 http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/col/suzuki/104/  

 僕自身、30歳代の中ごろにこんな経験をした。

 フォーチュン誌が選ぶ「世界を代表するリーダー」の1人にもなった、さる大経営者の依頼でコンサルティングを行ったときの話だ。コンサルティングファームからはパートナーが2人、僕を含めたマネジャーが3人という5人の精鋭チームで彼の抱える問題解決に当たった。

 ところがプロジェクトがスタートして2カ月、僕らの力不足が露呈してきた。彼の問題の視座と、我々の仮説の次元が合わないのである。

 彼の語る問題点の深さを我々が理解しきれていない――この事実は、彼とのコミュニケーションを通じて感覚的に理解できるのだが、ではどうすれば彼の悩みを理解できるのか。彼の視座が高過ぎて、どうすればこのギャップをアジャストできるのか困ってしまった。

 例えていえば、日本のプロ野球のレギュラーをそろえて野球教室を開いていたところ、メジャー最高の投手であるランディ・ジョンソンがやってきて、「技術」と「老い」と「ピンチでの心理的駆け引き」の相談を同時に始めたようなものだ。彼の悩みの次元があまりに高いため、受け答えのピントがまったく合わないような感覚だった。

 結局、この“ずれ”を克服するために、異例の対応をお願いした。経営会議での彼と幹部との議論を録音し、それを繰り返し聞くことにしたのだ。計6時間分の議論を録音したテープを僕は繰り返し聴いた。

 トップである彼とその仲間である経営幹部、つまりトップとはたとえられないほど大きな距離がある経営陣との議論を通じて、彼が何に対してフラストレーションを感じているのかを何度も繰り返し聴き続けたのだ。

 30時間を超えたころ、これは後で計算してみた数字なのだが、それくらいの時間を費やしたときに“エウレカ”(ギリシャ語で「分かった」「見付けた」の意)が起きた。彼の悩みに初めてシンクロできたのだ。通常の経営者と何段も離れた視座で思考をしている彼と、そうでない仲間たちの間での議論のギャップが、ようやく見えるようになったのである。