赤瀬川原平×矢作俊彦 対談 ドゥマゴサロン〔文学カフェ〕2004年9月21日

mixiにアップしていましたが、死蔵されてしまうのもなんなので転載します。

藝術リサイクル問答 ● 矢作俊彦×赤瀬川原平 2004年09月22日 20:02

先日、矢作俊彦(54)×赤瀬川原平(67)対談を見てきました。
●ドゥマゴサロン〔文学カフェ〕 9月21日
http://www.bunkamura.co.jp/bungakushou/cafe/6cafe.html

万年青年毒舌闘争気質的ツッコミの矢作さんと
総天然現代芸術家老人力的ボケ炸裂の赤瀬川さんでありました。

登場を拍手で迎えたのですが、どうもお二人とも「赤ら顔?」という感じで、きっとすでにいー感じになっちゃっていたような気がする。お二人とも実際に拝見するのは初めてでしたが、何はともあれ、ゲンペーさんの頭は尖っていました。矢作さんのほうは紺色のサマースーツで、ちょっと中年太りであった。ズボンの右ポケットには携帯のシルエットが…。んんー、それはいいのかなぁ。

※ 以下、脳内テープ起こしなので言い回しはちょっと違うと思いますが、概略以下のようなものでした。


●そもそもの出会い
初対面は矢作さんが高校生のとき、日芸の闘争家(シンナーで鼻が溶けている)に連れられて、ゲンペーさんに会いに行ったのが最初。現代芸術家にケーキやそんなありきたりの手みやげではつまらない。変わったものを持って行こう。というわけで、米軍キャンプに忍び込んで看板を盗み出して貢ぎ物として持って行ったそうな。そのときゲンペーさんは喜んでくれた、と。

その頃の矢作さんは、いろんな人に会いに行っていて、石原慎太郎手塚治虫にも会えたという。「二人とも金持ちだったよ、なのに赤瀬川さんはつげ義春のマンガに出てきそうな四畳半に住んでいて驚いた」

「で、そのあと吉本リューメイにも会いに行ったんですよ。エクレア2ダースを持って行ったら、ものすごく感動されてね。「こんなにたくさんのエクレアをもらうなんて」(リューメイ)って。「いいのか、高校生がこんなに」みたいな」。すでに矢作は17歳にして原稿を書いて小銭を稼いでいた(曰く「あの頃が一番お金持ちでしたよ。親のすねかじりだし、入ったお金は全部自分のものでしょ」)。

カポーティにもN.Y.のレストランで会ったことがある」とのこと(矢作)[これは、どこかのエッセイで読んだ気がする。]
「赤瀬川さんの弟子にしてもらったわけだけど(笑)、デュシャンに日本の金かくし※を持っていけば、弟子にしてくれただろうな」(矢作)

デュシャンの「泉」
http://www.arclamp.jp/blog/archives/000255.html


●現代芸術の今
赤瀬川=ボク、マーケティングがだめなんですよ。セールスプロモーションとか。だから食えない。なので書評から始まり、(尾辻克彦 名義で)小説なんか書いたりしたわけ。

矢作=80年代頃はやったけど、パイク※なんかつまらないと思いましたねぇ。あんなもんは、当時テレビの仕事していたからよく知っているけど、日本の若いアーティスト達がさんざんやっていて、放送はされなかったけれど倉庫に山積みされてますよ。ほんとにパイクはくだらない。

赤瀬川=いや、ボクはね。パイクは好きですよ。(パイクの)サスペンダーがね、ねじれているのを見たんですよ。スゴイと言われる作品をつくるけど、そういうところには気がつかないのかと思いましたね。作品のほうはね、よく知らないけど。

矢作=よく知らない!? (爆)

※ パイク
http://www.watarium.co.jp/exhibition/970801ilove/4th.html
http://www.ycs-ap.com/exhibition_case/2003/paik/paik.html
http://www.ntticc.or.jp/pub/ic_mag/ic019/131/IC19-131-J.html


●平板な芸術、そしてパロディの喪失
なぜ、大阪はこんなごみ処理場を作ったのか。外装は外人のデザイナー(名前失念。誰でしょう?)に頼んだらしいんだけど。(ガウディは)「自然に直線はない」と言ったんだけど、このデザイナーも同じことを言っているんだけど、そんなことはないわけで、自然にだって直線はあるし、「自然に同じ線はない」とも言っているのも間違いで、DNAの螺旋を見ろ。

面白いのは、日本の職人たちはいい加減に作れないんですね。几帳面に作ってしまう。直角は直角に、直線のように見えたらあくまで直線にしてしまう。スペインの住宅の壁のように適当に漆喰なんかを塗れない。大阪のごみ処理場のディテールをよく見ると、日本の職人がデザイナーが目指しているいい加減さと格闘しているのがわかるんですよね。ともすると几帳面に作ってしまって、本来のデザインが持つ面白さを台無しにしてしまっている。

どうしてなんだろう。それはきっと、

「この国では芸術は蒸発してしまう」

からなんだろう、と。このごみ処理場は(見方によっては)芸術たり得ているかもしれないけど、周りの平板な日本の風景に飲み込まれてしまっている。「異化」を飲み込み「同化」してしまうのが日本。そもそも日本に建築家はいるが、建築デザイナーはいない。日本では建築家でないと図面を描けず、デザインもできないということになっているが、逆に海外の建築デザイナーは図面なんかは描けない。ただスケッチを見せるだけ。そういう違いも、日本の建築が平板な理由のひとつであるかもしれない、と。

※ 大阪 ごみ処理場(外装の出窓はすべて8割方は飾り窓。単なる装飾である)
http://alkemy.hp.infoseek.co.jp/ph03/p06.jpg

荒川修作も「養老天命反天地」をつくるときに、いい加減に作りたかったのに清水建設が最高の技術力で作ってしまい、自分のイメージとは異なるものができてしまった。わざわざ曲げたり歪めたものをまっすぐにされてしまったり、ときどき石が崩れるようにしたかったのにぜーったいに取れないように接着してしまったりしてしまった。スペインの住宅の壁のようにできないんだ。日本の職人は。

荒川修作の「養老天命反天地」
http://www.nhk-chubu-brains.co.jp/gifu/yoro/ph/
http://www.yoro-park.com/j/rev/index.html

赤瀬川「日本では、パロディが成立しなくなっているんです。なんでもひっくり返すのが普通になってしまった。そうなっちゃうと面白くない。面白くないんだけど、パロディ展なんかの審査員をやっちゃう」

矢作「やらなきゃいいじゃないですか」

赤瀬川「いや、ね。そういうのを無視するっていうのが、バカらしいっていうか、ああ、そういう時代なんだな。そういう動きに反対することに大きい意味はない時代なんだなって思うんですよ」