十河 進さんて小説家志望だったのか

【日刊デジタルクリエイターズ】 No.1530 連載「映画と夜と音楽と…」
「213回 深夜の恥の記憶」十河 進 著より

いやいや、ひさしぶりに見た名前は盛田隆二である。その名前を見ると、僕はいつも二十年近く前の深夜の酒場を思い出す。(中略)盛田さんとは誰々の作品はいい、あいつは駄目だ、などと言い合っていたが、そのうち僕は口を滑らせた。
──実は、何度か「文學界」新人賞の選考に通っているんです。
その瞬間、酔ってすこし朦朧としていた盛田さんの目がキラリと光り、僕をジロリと睨み付けるようにして口を開いた。唇の端に薄笑いが張りついていた。
──僕はいつも最終選考ですよ。「早稲田文学」の新人賞ももらってる。
その瞬間、つまらない自慢をしてしまった自分が急に情けなくなった。上には上がいるもので、自慢した途端に返り討ちにあったわけである。僕は何も言えず、ただ畏れ入るしかなかった。恥の感覚がせり上がってきた。

もうひとつ、面白いのがあった。
http://www.118mitakai.com/2iiwa/2sam_b/2sam_31107.html より

J・D・サリンジャーのロングセラー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は「ライ麦畑でつかまえて」と訳されているが、本来は「ライ麦畑の捕手」、つまり「捕まえ手」と訳すべきなのに、僕は「つかまえて(ほしい)」というニュアンスであのタイトルを理解したので、その印象は30年たっても、その後、原題を知っても書き換えられていない。