対談を愛す その2 丸谷才一×山崎正和 『日本語の21世紀のために』

『日本語の21世紀のために』丸谷才一山崎正和 著、文春新書、2002

日本語の21世紀のために (文春新書)

日本語の21世紀のために (文春新書)

同書64、65ページより

言文一致運動の失敗
山崎 これは広く知られてることですけども、最初にキリシタンバテレンが日本に来て、愛という言葉を教えようとしたんです。だけど、そんな言葉は日本語にはない。漢語の「愛」とはまったく意味が違う。誰が訳したのかわからないけれども、結果的に「御大切」と訳したんですね。
丸谷 「愛」とは御大事に思うことをいう。
山崎 そうそう。だから、そういうのはたしかに語感に触れるんだけれども、しかし、翻って考えてみると、キリスト教における愛を「御大切」と訳して、それが正解だったかという疑いも起こるわけですよね。だから、漢語の持っていた抽象性というのは、言ってみればフグの肝みたいなものですね。うまいけど、危ないという。
丸谷 それから第一、早いしね。
山崎 そう、早い。
丸谷 「御大切に思う」ことで語感は伝えられるかもしれないけれども、のろくてのろくてね、大変でしょう。やっぱりそれは一種反近代的な行為なんだな。
山崎 そうですね。この加賀野井さんが書いているように*1、ほんとに明治の段階で話し言葉と書き言葉を連結する――けっして私は言文一致とは言いませんが、連結すること自体が大変なことだったと思いますね。これは再三、私たちは思い出しておいたほうがいいと思うんですね。
 しだいに言文一致運動が起こってきて、「話すように書く」という運動が起こるんですが、これは私は結果的に大失敗であったと思います。「書くように話す」べきだったんですね。この時代に話すように書けと言ったって、もともと土台無理だ。話し言葉に統一語はなかったわけなんだから、ほんとうは書くように話せばよかったんですね。

日本語は進化する 情意表現から論理表現へ (NHKブックス)

日本語は進化する 情意表現から論理表現へ (NHKブックス)

*1:『日本語は進化する 情意表現から論理表現へ』NHKブックス