SEOの是非

以下の筒井氏の主張(SEOが効果的に働くのは商用目的で検索した時のみにすべし)にしたがえば、「Yahoo!検索」のほうがよい(?)ということになりそうです。

ウェブの公共性:SEOの考察 2005.2.11(筒井淳也)
http://homepage3.nifty.com/sociology/index.html

じゃ結局どうして私はSEOコンテストに反対なのでしょうか? 単純に言えば,「面白い情報や大事な情報がそのせいでまぎれたらどうするんだ!」という気持ちから,なのです.まあそれ自体はウェブのビジネス化以降はしかたのないことなのですが,せめて検索エンジンは「高い付加価値」情報を上から順に表示する機能であってほしい.学生だって,レポートの時期はGoogleにお世話になることが多いでしょうけど,検索しても検索しても商用サイトしかヒットしなかったら空しいでしょう.このままビジネス目的でのSEOが進むと,ユーザのサーチエンジン離れが進む可能性もあります.SEOは自分で自分の首を絞めないように気をつけなくてはなりません.※

※ どうすればいいかというと,商用のSEOは,ユーザが商用目的で検索したときのみそれに応じることができるような最適化方法を考えればよいわけです.これもだから,その場のニーズの特性を見極める,という上述のポイントと同じことですね.SEOコンテストのような「一般的キーワードでとにかくランクを上げる」みたいな技術は,その場合無意味=有害になります.

政治分野での言説闘争でもそうなのですが,とかくシンボル(記号)の世界では「市場原理」はパレート改善を発揮しにくいものです.私が好きな経済学者D.ノースは,The lower the price of ideas, ideologies, and convictions, the more they matter and affect choices. (Institutions, Institutional Change and Economic Performance)と書いています.シンボルを使った生産物,つまり情報は「低コスト」で,しかもインターネットというコミュニケーションのシステムは,さらにそのコストを下げます.とはいえ,こういったシンボルの交換のルールが,効率の良いものになっているかどうかは,ノースによれば,その交換のコストとは関係のない(次元の違う)話なのです.ノースの場合,市場よりも先に制度が来ますからね.素人でもできる(少なくともやっている)SEOがこの矛盾を表しているように思えます.(ああ,私は社会学者なのに,いつの間にか制度学派の話になってしまいます.)

いまのところGoogleはアンチSEOの姿勢をとっています.これはGoogleにとっては死活問題ですし,ぜひアンチを続けていって,SEOが非合理的になるような仕組みを作っていってほしいところです.