犬童一心監督のエッセイ:池脇千鶴について

連載コラム「オフステージ」朝日新聞夕刊2005/8/5
女優であるということ (1) 役柄が身体に行き渡る /犬童一心(映画監督)

ジョゼと虎と魚たち」のあるシーンを撮影中のことだった。主入公である生まれつき足の悪いジョゼに扮するのは池脇千鶴妻夫木聡扮する恒夫に背負われている。ジョゼとの生活にくたびれはじめた恒夫はそろそろ車いすを買おうと口にする。それまで彼女は車いすを拒否して生きてきたのだった。

 ジョゼは言う。「あんたがずっとおぶってくれたらええやん」。恒夫は答える。「でもさ、オレだっていつか年を取るんだからさあ」。リハーサルの池脇は台詞を言った恒夫のことを後ろから悲しそうな目でじっと見つめるだけだった。

 何かが足りないと感じた僕は池脇の側へと向かう。「恒夫の台詞の後になんかリアクションしてくれない」。すべての俳優にこんな言い方をするわけではない。もっと具体的に指示を出すことが多い。すでに一緒に仕事を始めて3本目の映画。池脇のことを少しはわかり始めた僕はわざと具体性を言わない。せめて、その時の心情ぐらい説明しそうなもんだが、それもしない。そのまま、本番へと移る。

 本番の池脇は、じつと恒夫を見つめると、彼の首に手を回しぐっと抱きついた。そして、そのままその背中にゆっくりと顔を埋める……。

 ジョゼの持つ、恒夫と永遠に一緒にいたいという気持ち、でもそんなものはきっとないと思っている諦観が見事に表現された演技だった。僕は心からの拍手を送った。映画が完成し、公開されると、多くの人からあのしぐさには泣かされたと言われたものだ。池脇は長い時間をかけ、熟考の末そのアクションに至っているわけではない。重要なのは、演じているキャラクターが本番中、身体の隅々まで行き渡っているということだろう。そして、あくまで、相手役へのリアクションとしてわき上がった感情を素直に演じようとしているだけなのだ。

 優れた女優とはいったいなんだろう。彼女たちは他の人と違う何を持っているのだろう。そんなことを、僕の映画を支えてくれた4人の女優たちを通して考えてみようと思った。4人とは「ジョゼと虎と魚たち」の池脇千鶴上野樹里、「メゾン・ド・ヒミコ」の柴咲コウ、「タッチ」の長澤まさみ