情報デザイン原論―「ものごと」を形にするテンプレート (情報デザインシリーズ)
- 作者: ロバートヤコブソン,Robert Jacobson,篠原稔和,食野雅子
- 出版社/メーカー: 東京電機大学出版局
- 発売日: 2004/01/01
- メディア: 単行本
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Information Design (The MIT Press)
- 作者: Robert Jacobson,Richard Saul Wurman
- 出版社/メーカー: The MIT Press
- 発売日: 2000/08/25
- メディア: ペーパーバック
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from id:kogo:20060809
情報の概念は次のように変遷してきた。
- 情報は秩序ある現実を描写する
- その現実を発見できるのは適切な観察能力と技術を持った者だけである
- その現実は時と場所によって変わる
- その現実は文化によって異なる
- その現実は人によって異なる
- 情報は力のある者が無力な者に対して使う言葉の道具である
- 情報は混沌とした現実に秩序を与えるものである
何かを理解するということは、「データ→情報→知識→知恵」に変形していくことである。そして、コンテクストを「グローバル→ローカル→パーソナル」に変形していくことである
上記の「コンテクストを「グローバル→ローカル→パーソナル」に変形していくこと」というのを読んで、以下の記事の内容が少し腑に落ちた。
学者が斬る シリーズ274 ナレッジ・マネジメントの起源と本質 梅本 勝博(北陸先端科学技術大学院大学・知識科学研究科教授) [週刊エコノミスト 2006年8月8日号]
梅本氏曰く、
ナレッジ・マネジメントについては、まちがった理解がいまだに横行している。
ナレッジ(知識)という言葉が使われているが、ナレッジ・マネジメントは実際にはデータ、情報、知識、知恵という「知」のすべてのレベルを対象にしている。これら四つの知は、微妙に意味が重なり合い、定義するのが難しいが、敢えて定義すれば、人間が作り出した信号あるいは記号(文字・数字)の羅列がデータで、それらを分析することによって抽出されてきた断片的な意味が情報、行為につながる価値ある情報体系が知識、実行されて有効だとわかった知識のなかでも特に時間の試練に耐えて生き残った知識が知恵ということになる。データを情報に、情報を知識に、さらに知識を知恵に変換するのが、ナレッジ・マネジメントなのである(図)。
図:ナレッジ・マネジメントにおける「知」のレベルの概念 知恵 ↑ ←実行 知識 ↑ ←体系化 情報 ↑ ←分析 データ
ここまではKM(Knowledge Management)のおさらいである。そして、こう指摘する。
『The Knowledge-Creating Company』(⇒関連リンク) と並んで世界的ベストセラーになった『Working Knowledge』(98年、邦訳『ワーキング・ナレッジ』2000年)のペーパーバック版の序文で、著者であるトーマス・ダベンポートとローレンス・プルサックは、ナレッジ・マネジメントが通常業務に上乗せされる形でおこなわれる限りは本当の成功は得られない、と書いている。
つまり、情報や知識をデータベースに登録するようなことを余分な仕事としてやっているようでは、ナレッジ・マネジメントはうまくいかない、というのである。あるいは、ナレッジ・マネジメントを特別なプロジェクトとして、日常業務から離れてやっている状態もそれに含まれるだろう。
結論はこうだ。
理想的なナレッジ・マネジメントとは、知識プロセスがビジネス・プロセスに埋め込まれているので、仕事をしているときにはナレッジ・マネジメントをやっているつもりはなく、知識を創造・共有・活用していることを意識していない状態である。逆に言えば、ビジネス・プロセスに埋め込まれたナレッジ・マネジメント技術・手法を使って知識を共有・活用しなければ新しい知識は創造できず、仕事にならないような仕組みが作られている状態が、ナレッジ・マネジメントとしては理想的である。
しかしその一方で、意識しようと思えば自分の仕事をデザインされた知識プロセスとして意識することもでき、自分であるいはナレッジ・ワーク・デザイナーと協働で知識プロセスをデザインできることも必要である。
結論部(後段)では、反論の先取りのようなことをしてるが、読者にとってはそれほど有益とは言えない。
さらに思う。「通常業務に上乗せされる形」で行われたり、「特別なプロジェクト」であってもいいではないか。「グローバル→ローカル→パーソナル」という、いわば身体化とでも言えるようなプロセスを経ることができるかどうかが問題なのだ。